警備員の法定研修で習った「警備業の歴史」と「豆知識」が面白かった

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警備員の法定研修で習った「警備業の歴史」と「豆知識」が面白かった

コロナの影響で前職を失ってからおよそ1年、好きな時間に寝て起きて腹が減ったら出前を取るという、最終的に国民に処刑される王ぐらい堕落した生活を送っていたが、これを支えた失業手当が期間満了につき容赦なく打ち切られ、生活に行き詰ったため、ブランクもあるしとりあえず楽そうな仕事から始めてみるかという軽い気持ちで先日、警備員の仕事に応募した。警備員になるには、正社員だろうがアルバイトだろうが「法定研修」の受講が義務づけられているらしく、面倒ながらしかたなく4日間にもおよぶ研修を受けてきたところ、「肉体労働以外はすべて虚業だ」と言わんばかりにゴッツい体をした教官が全盛期のビートたけしみたいな勢いで語る警備業の歴史や豆知識が予想に反してめちゃめちゃ面白かったため、その内容をまとめておく。警備会社にもよるがほとんどの場合研修中にも時給が付くため、勉強になるわお金ももらえるわでこれもうほぼ防衛学校だぞ。

警備業の歴史

西部開拓時代、母国イギリスを追われアメリカに不法入国したアラン・ピンカートンという男が、逃亡生活中であったため、日中は身を潜めて眠り、夜中にこっそり移動するという生活を送っていた。夜中に偶然目にした馬泥棒を自慢の腕っぷしでやっつけて保安官に引き渡したところ、この馬泥棒の正体が馬泥棒に留まらず通貨偽造にまで手を染める悪名高い犯罪者だったため、そのお手柄が新聞で取り上げられ一躍有名人になり、以降アメリカで事件が起きるたびに個人や企業からひっぱりだこになった。この経験から、ピンカートンは「人々が寝静まっている夜中に眠らず目を光らせること」の需要を見出す。

西部開拓は国策でもあったため、当時のアメリカでは、銀行より鉄道会社のほうがたくさんお金を持っていた。そのことを知っているならず者は銀行そっちのけで鉄道を狙うようになったため、ピンカートンは鉄道会社に用心棒を派遣する「鉄道警備業」を始めて大儲けした。このとき、鉄道会社のひとつに弁護士として雇われていた、のちの合衆国大統領エイブラハム・リンカーンと関わりを持つことになる。政治家となったリンカーンは南北戦争中、自身の身辺警護をピンカートンが立ち上げた警備会社に依頼した。これが警備業の始まりであり、現在のアメリカの警備業が主に身辺警護を指すものになるきっかけである。

日本の警備業の歴史

1962年、飯田亮という裕福な家庭で育った若者が「何か新しいことがしてえ」という理由で、アメリカでは一般的だったものの、日本にはまだなかった「警備業」に目をつけ、のちにSECOMとなる日本警備保障株式会社」を設立。

さっそく親父のつてで紹介された会社に営業に向かったところ、そこの社長に「そんな商売は日本では成り立たないよ」と一蹴されてしまう。社長曰く「ここに来る途中、入口に守衛さんがいただろ。あの人は元々うちで工場長をやっていた人間だ。定年を迎えた後もうちのために働きたいというから守衛をしてもらっている。彼はこの会社のことを知り尽くしているし、私自身も彼を信頼している。どこの馬の骨ともわからないあんたのような人に会社のカギを預ける会社があると思うか?」ということだった。

しかし飯田亮という男は運がよかった。1964年に東京オリンピック開催が決定。当時、敗戦国であり世界からの信頼を今の北朝鮮並に失墜していた日本は、信頼回復のためにも東京オリンピックを絶対に失敗できない事に加え「自分の身は自分の身で守るものだ」という文化の国からやってきた人々を守ることの難しさを懸念していた警察は、自分たちだけでは手が回らないと判断し、選手村の警備を日本警備保障株式会社に依頼した。この仕事を成功させたことをきっかけに、警備業が日本でも広く認知されることになった。1965年から放送された東京警備指令 ザ・ガードマンという警備員の活躍を描くドラマは人気を博し、最高視聴率40.5%を記録した。

幸運はさらに続く。東京オリンピック成功によって国際社会からの信頼を回復した日本に訪れたのが高度経済成長である。企業はどこも人手不足であり、猫の手も借りたい状態であった。定年退職した者に守衛を任せている場合ではなく、守衛を社内勤務に引き戻す企業が続出したのだ。そんなわけで、空席となった企業の守衛を代行するというポジションを得た日本警備保障株式会社の収益は爆増。それに続かんと雨後の筍のごとく次々と警備会社が立ち上がった。その中の一つに綜合警備保障株式会社、現在のALSOKがある。

また、高度経済成長によって公共事業が増大した日本では、交通警備の需要が大幅に増加したのも日本の警備業が拡大する大きな要因となった。有り余る道路財源を使い切るために穴を掘って埋めるだけのような事業がそこらじゅうで行われる有様だった。交通警備員の給料は「一つの現場につきいくら」という計算だったため、中には一日で三日分の給料を稼ぐ警備員もいたという。これらの件が、身辺警護が主であるアメリカとは違い、警備業といえば「交通警備」という日本独自のイメージが定着した要因となっている。

時は過ぎ平成17年、小泉内閣によって公共事業は減少し、道路財源を大幅に減らされたため、交通警備業を主軸としていた警備会社が大量に倒産。このことで警備業界は、政策によって仕事量が増減する不安定さを思い知らされたため、現在でも交通警備を主軸にする警備会社は少ない。

警備業に関する豆知識

警備会社の採用面接はなぜ厳しいのか?

警備員の仕事を始める場合、アルバイトだろうが一か月で辞めるつもりだろうが、必ず準備しなければならない3つの書類がある。

  • 本籍地が記載された住民票
  • 本籍地で発行された身分証明書
  • 身元保証人の捺印と署名

住民票と身分証明書は主に、本人が破産していないかを証明するためのもの。これは警備業法で義務付けられているため、一切の例外なくどこの警備会社の面接を受けても提出することになる。破産後5年以上が経過していれば復権されるため問題ない。また、身分証明書はかつては禁治産、すなわち本人に精神疾患がないことを証明するためでもあったが、近年、警備業法が改正され、精神疾患の有無によって面接すら受けられないという状況は撤廃された。

では「身元保証人の署名」はなぜ必要なのか。例えば、警備員は業務上、担当施設の金庫の位置などの重要な情報を把握することになる。しかし警備員だって人間だ。金庫から金を盗んで海外に高飛びというガードマンドリームが脳裏によぎることだってある。万が一それを実行してしまった場合などに、損害額の一部を身元保証人に請求するためだ。情報を外部に漏らし、それが重大な損害につながった場合などにも損害額の一部を請求するケースもある。

警備員と警察官は何が違うのか

トラブルに対処するのが警察官、トラブルを未然に防ぐのが警備員。警察官と違って、警備員は一切の公権力を持たない。つまり一般市民と同じなのだ。警備員が不審者にけがをさせた場合、過剰防衛で傷害罪に問われるリスクを負っている点や、警察官と違い防刃ジョッキを装備していない点などから、不審者を取り押さえるような真似はしないようにと公安から厳しく指導されている。トラブルが発生してしまった場合、警備員にできるのは、周囲の人間に逃げるよう指示し、警察に通報した後、自分も逃げることだけだ。

じゃあ警備員は何のために存在しているのかというと、「警官に似た服装の男が神妙な顔で立っている」ことによって生まれる抑止力によって、トラブルの発生を未然に防ぐためなのだ。存在意義が核兵器と同じなのだ。

あなたが近所のショッピングモールで買い物していた時、刃物を持った不審者を見かけたとする。不審者に立ち向かわない警備員を決してSNSなどで袋叩きにしてはいけない。犯罪が発生してしまった時点で、一般市民である警備員にできることはないからだ。

制服を紛失するととんでもないことになる

「アルバイトをまともに辞めたことが一度もない」のを武勇伝のように語るバックレ常習犯や、制服をしょっちゅう無くしては店長に怒られないよう辞めた奴のロッカーからこっそり拝借している者は特に、警備員のアルバイトをする際に考慮しておきたいのが、「警備員は制服を極めて慎重に取り扱わなければならない」ということだ。

今回の研修中、警備服を紛失した場合すみやかに会社に報告するよう何度も入念に念を押された。かつて、警備服を紛失した者がそのことを会社に報告せずにやりすごしていたところ、その警備服を拾った人間が警備員になりすまし悪事を働いたという事例があり、制服を無くした警備員が所属していた警備会社が営業資格をはく奪されるという、他業種では考えられないほど重い結末を迎えたそうだ。これだけ規制法が厳格な業種は、教官の知る限り「風俗業」「暴力団」「警備業」だけだという。

とにかく、これから警備業に携わろうとしている者は、今までのバイトのように電車の棚に制服を忘れたり、バックレてそのまま部屋着として使用するということはできないと肝に銘じる必要がある。背中にでっかく「一杯入魂」的なことが書かれたTシャツとはわけが違うということだ。